『2025年のエフェクター』あるいは『KLOWRAをめぐる冒険』

『2025年のエフェクター』あるいは『KLOWRAをめぐる冒険』


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序.4つの奇妙な箱

完璧なエフェクターなんで存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

僕が偶然知り合ったあるミュージシャンは僕にそう言った。その本当の意味を理解できるのはずっと後のことになるのだが、少なくといもある種の慰めとしてとることも可能であった。
完璧なエフェクターなんて存在しない、と。

しかし、それでもギターを弾くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に弾けることができる領域はあまりに限られた事だったからだ。

だから僕はエフェクターを探し続けた。ディレイ、リバーブ、モジュレーション、ピッチシフター。歪み系じゃないものを追い求めた。
結局のところ、ギターを弾くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。

これはエフェクターの情報ではない。
4つの奇妙で小さな箱についての、いくつかの個人的な、しかも断片的な感傷だ。
それらはKLOWRAという名前で、まるで失われた文明の遺物かのように、それぞれに奇妙な単語が記されていた。

Limbo、Everlast、Sprout、Vein。
僕はそれをひとつずつ床に並べ、音を鳴らしていった。

1. 辺獄のリバーブ

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最初の箱には「Limbo Reverb」と書かれていた。
辺獄のリバーブ。「終焉と再生が交錯する」という、このペダルに籠められた壮大な物語を暗示しているような名前だ。
僕はそれを手に取り、アパートの床に置いた。午後の西陽が部屋の埃を黄金色に染め、テーブルの上では飲みかけのコカ・コーラのグラスが汗をかいていた。

ギターをアンプに繋ぎ、弦をはじく。脱退したバンドの曲を。何度も何度も演奏した曲だ。

その瞬間、部屋は部屋であることをやめ、さながら大聖堂カテドラルのように広がっていった。音は壁に吸い込まれるのではなく、溶けて滲んでいくかのようだった。

箱に同封されていた紙片には、カリール・ジブラーンの言葉が引用されていた。

「海に始まりも終わりもない。ただ連続的な流れがあるだけだ」。

僕は9つあるアルゴリズムのノブを回した。そのひとつには「HAZY」と記されていた。霧がかった、という意味だ。音は輪郭を失い、かつて恋人と歩いた季節外れの海のように広がっていく。彼女は古い映画を真似して、ワインの瓶を片手に砂浜を踊りながら、上機嫌だった───。もうひとつは「TIDE」。潮汐。静寂と荒々しさの二面性を持つ海を模したその音は、忘れかけていた胸の痛みを縁取った。そして無慈悲なシューゲイズ・サウンドを放った。

残響系エフェクトとは、喪ったものへの空間を作り出す効果に他ならない。あるいは、音の幽霊が住まうための場所なのかもしれない。この小さな箱が生み出す広大な空間は、宇宙の広大さから、僕という存在のあまりの小ささまでを実感させた。確かにそれは終わりと再生が交錯する「辺獄」だった。

2. 永遠のディレイ

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僕が高田馬場のゲームセンター「ミカド」で格闘ゲームをしてボコボコに負けたのは、もう10年以上も前のことだ。その時のことを、僕は時々思い出す。特別な理由はない。記憶とはそういうものだ。胸の痛みがブーメランのように、唐突に自分自身の手元に戻ってくる。

二番目のエフェクターは「Everlast Delay」と書かれていた。永遠のディレイ。大仰な名前だ。僕はノブを回し、ディレイ・タイムを340ミリ秒くらいに設定した。なぜその数字だったのか、僕にもわからない。ただ、おぼろげに浮かんできたのだ。340という数字が。

ギターの弦を指弾く。「しょうもないアルペジオばっかり弾くギタリスト」。あいつはそう言って僕のフレーズを茶化していた。

音が遅れて繰り返される。フィードバックのつまみをひねると、反響は繰り返され、少しずつ熱を失いながら消えていった。それは記憶の反芻そのものに思えた。ライブハウスのカウンターでビールを飲む誰かの横顔。恋人たちの言葉。まろやかな緑茶割りグリーンティ・ハイボール。何度も共演した好敵手 ライバルたちの笑い声。繰り返されるたびに、記憶は少しずつあやふやになり、やがてはただの音の染みになる。

この箱には9種類のディレイが内蔵されていた。「クリスタル」というモードには「ギターに天空の輝きを加える」とまで書いてある。試しに弾いてみると、オクターブの上がガラスで乱反射する陽光のようなきらめきをサウンドに与えた。懲りずにクラシックなアナログのシミュレーションを選ぶ。繰り返される音はほのかに暖かい。残響音が正確なコピーではなく、微かに湿度を帯び朽ち果てていく。フィードバックつまみを全開にすると、まがまがしい発振音が唸り始めた。
ディレイというエフェクトは、演奏を機械的に複製する装置だ。記憶の反復作用を、ただ冷静に、そして正確に可視化するかのようだった。



3. 萌芽のモジュレーション

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8月25日の夕方、陽炎で世界が揺れていた。窓の外では蝉が鳴き、連日の猛暑でアスファルトが溶けかかっている。僕はART-SCHOOLのトリビュート盤を聴いていた。「MISS WORLD」の歌詞にあるように、給水塔に立ってみたかった。東京で蛍を見かけたことはいまだにない。

三番目の箱は「Sprout Modulation」という。萌芽のモジュレーション。そのコンセプトは「光合成」だという。正直よくわからなかった。

だからこそ、繋いで弾いてみる。ギターの音に、確かに微かな揺らぎが加わる。春の風のような揺らぎと呼べないこともない。音の位相が周期的にずらされうねっていく。現実が、ほんの少しだけ回転していくのを感じる。コーラスのモードを選ぶと、そこにいないはずのもう一人の自分が、隣で同じフレーズを弾いている気配がした。トレモロをかけると、蝉の声のような周期で音が明滅する。つまみを選ぶごとに、忘れかけた感情たちが、万華鏡のようにサウンドに乗っていった。

変調されたギター・サウンドは、僕と世界の間に薄い壁を一枚形作る。いや、断絶を可視化させる、と言うのが正しい形容だ。僕が認識している世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないかと問いかける。ロータリーのエフェクトを鳴らす。昔みた色褪せた映画のような、サイケデリック・バンドのような音だ。流転しつづける液体のように様々な音が鳴った。心地よさに酔いしれることも、魔界のオジギソウの絶叫のごとき不安な音すらも出せる。
モジュレーションペダルとは、そんなものだ。

4. 静脈のピッチシフター

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ハルキ・ムラカミの処女作には、デレク・ハートフィールドという小説家が登場する。彼が書いたという『火星の井戸』は「レイ・ブラドベリの出現を暗示するような短編」であり、青年が井戸に降りていくと、そこでは時間の流れが地上とは全く異なっていた、という冒険奇譚となっている。

話を戻そう。最後の箱は「Vein Pitch Shifter」。静脈のピッチシフター。筐体はまるで血のように紅に染まっている。

弦を弾くと、僕が弾いた音と異なる音程が鳴る。完全4度上の音が、部屋の隅に潜んでいた何者かが歌い出したかのように響いた。機械が生み出した、とてつもなく正確なハーモニーだ。

LEDボタンを押しながらノブを回す。2オクターブ下の音に設定し、ゆっくりとシフトするように設定した。ギターの音が、井戸の底に怪獣がいるかのように轟く。
次は、ミックスを全開にして半音下げの音に設定してみた。チューニングを変えることなく、半音下げの重金属音楽ヘヴィ・メタルが弾ける。ブリッジミュートして、16分で六弦を刻んだ。昔挫折した、あの曲を。

僕が何かを語ると、もう一人の自分が応える。このピッチシフターが生み出すサウンドは、自己との対話に似ていた。僕が弾くメロディに対して、機械が冷徹な音程で応答してくれる。それは僕自身との、しかし僕ではない誰かとの、奇妙なセッションだった。

終わりに…

知らぬ間に、夜になっていた。僕はエフェクトを1つ1つオフにし、フェンダー・メキシコのテレキャスターを床に置いた。部屋には冷蔵庫のモーターが立てる低い唸りが響いていた。

「手始めになにをする?」
「ビールを飲もう。」

もうひとりの僕が言う。無性にビールが飲みたかった。真夏よりビールが美味しい季節はない。
何もかもが溶けてしまいそうに蒸し暑い、8月の月曜日だった。

筆者:パープルマン
寺生まれのギタリスト。わけあって、今はHotone Japanにいる。

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